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横浜市港北区高田西分譲地

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横浜市港北区高田西分譲地

横浜市港北区は昭和14年に誕生し、横浜港の北にある事から港北区と名付けられた地域です。

今回は港北区の高田西地域についてのご紹介です。

港北区高田西地域は住宅地なので、住みやすさに定評のある地域です。交通の便は横浜市営地下鉄グリーンラインの高田駅か東山田駅を利用することが出来、東急東横線の日吉駅まで約5分ほどなので渋谷駅までは約36分、横浜までは約30分ほどで到着します。またJR横浜線の中山駅までは約17分ほどです。

電車以外にもバス路線も日吉駅行き、センター南駅行き、綱島駅行きなどもあるので、バスでの移動もスムーズに出来る地域です。

県道沿いにホームセンターやドラッグストア、コンビニもあるので日常のちょっとした買い物に便利です。

時代と共に変化した街

区内の続日本100名城の一つや神奈川県三名城として選ばれている小机城こづくえじょうは1438年の永享の乱えいきょうのらんの頃に築城されたと言われています。

一度廃城になるものの北条氏によって修復されましたが、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際に無傷のまま落城し、その後徳川家康の関東入府に伴って二度目の廃城となりました。現在も小机城址市民の森の中に本丸や二の丸跡などの城の遺構が残っています。

明治時代には武蔵国都筑郡として神奈川県下に属していていました。「都築」と言う地名は現在は横浜市にある18の区の一つ都筑区として残っていますが、古くは万葉集の中でも確認できるほど以前から使われていた地名でした。

何度かの行政区再編成を経て今の区域となりましたが、昭和14年から昭和44年までは現在の緑区や都筑区の全域からたまプラーザや長津田などの東京都との境界までが港北区とされていて横浜市の三分の一程の大きさにも及びました。

横浜市の中でも一番広く農家の多い地域だったので、東急東横線やJR横浜線の沿線沿いを除いてはあまり開けていませんでしたが、昭和39年に東海道新幹線の開通に伴って新横浜駅が開業すると東京都や川崎市へも近く、横浜市の人口が増えてきたことから東急東横線沿いにあった田畑はどんどん埋め立てられ住宅や工場が次々に建てられていき、急速に変化をとげていきました。

現在ではコンサートやワールドカップなどが開催される横浜アリーナや日産スタジアム、新横浜ラーメン博物館などの観光スポットもあり多くの人が賑わう街へとなりました。

新横浜駅周辺の様子

東海道新幹線の新横浜駅の看板

新横浜駅にあるキュービックプラザ新横浜にはたくさんの飲食店や新幹線の中で食べられるお持ち帰りのお弁当、生活雑貨、書店、ファッション、家電店などがあります。

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