杉並区本天沼地区は杉並区の北東部に位置しています。
今回は杉並区本天沼地区のご紹介です。
本天沼地区はJR中央線と西武新宿線の間に位置する地区でJR中央線の荻窪駅や阿佐ヶ谷駅、西武新宿線の下井草駅が最寄り駅となります。
どちらも徒歩15分から20分ほどかかりますが地区内にあるバス停からバスを利用される方が多いです。
早稲田通りにある下井草一丁目のバス停からは阿佐ヶ谷駅行き、荻窪駅行き、石神井公園駅行き、下井草駅行き、練馬駅行きがありますし、日大二高通りにあるバス停からは荻窪駅北口行き、白鷺一丁目行き、阿佐ヶ谷営業所行き、練馬駅行き、中村橋駅行きがそれぞれ出ています。
古代東海道の駅があった場所?!
本天沼地区は江戸時代には多摩郡天沼村の一部で1932年に東京市杉並区の一部となり、旧天沼村の地域は天沼一丁目・二丁目・三丁目となりましたが、1965年に住居表示が施工される際に旧天沼三丁目が本天沼と名乗ることになりました。
本天沼地区の名前の由来でもあり、この地域付近にあったと言われている「弁天池」は現在の天沼三丁目にありますが、以前は同じ天沼村だったため、少し離れた場所に存在しています。
また天沼の名前の由来が雨水がたまった沼地だったからつけられた説もあります。弁天池の周辺は長雨が続いて池があふれてしまうと簡単には水が引かずに雨が上がった後も一面の沼になってしまっていたそうです。この付近一帯を「雨沼」と呼びならわしていき、そのうちに「あめぬま」から「あまぬま」と呼ぶ様になり、漢字を同訓の天に改めて「天沼」としたものと考えられています。
「あまぬま」と言う名前から明治時代頃に古代東海道の駅があったのではないかと言われていたことがありました。
現在『東海道』と知られているのは江戸時代に徳川家康によって整備されましたが、7世紀後半から10世紀ごろまでの律令時代に使われていた古代東海道の駅の一つ乗潴駅が本天沼・天沼地区にあったと考えられていました。
乗潴駅は平安時代に編纂された『続日本紀』の中で出てきますが、乗潴の由来を「剰りの沼」のことを指しているとして一時期は研究者の発表が盛んにおこなわれていました。
乗潴駅があったとされているのは奈良時代のことで、当時の駅は 東海道を適当な間隔で馬を常備していた施設のことを指しています。もしこの説が本当なら、天沼と言う地名は奈良時代から使われている古いものとなりますが、物的証拠がこれまでに見つかっていないことから現在はこの説が文献に登場することはなくなりました。
職人の手によって整えられた土地
大きな木の根が作業を難しくさせています
無事に撤去できました
このような状態にしてお引渡しです